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基調講演 「支え合いのしくみづくり」
 
講師 前田 眞氏(邑都計画研究所)
 

 みなさん、こんにちは。ただいま、過分なご紹介を受けましたが、そんなに立派な人間ではなく、普段はみなさんの住んでいる地域に一緒に入らせていただいて、みなさんと一緒に、自分たちが住みやすい社会をどういうふうに作っていけばいいのかを一緒に考えるようなことを、仕事でやったり、ボランティアでやったりしています。会社は、邑都計画研究所といいます。

 大学は建築学科だったのですが、入った途端、デザイン能力がないことに気がついて、地震などで建物がもつかどうか構造計算というのがあるのですが、数学の知識が必要なのにそれも苦手で、デザインもダメ、数学もダメ、じゃあどうしようかという時に、たまたま大学に、農山漁村の研究をしている先生がいて、地域に入って、その人たちの生活ぶりを勉強しながら、将来必要なハードは何か、ソフトは何かを研究している先生に出会いました。休みになると、瀬戸内海の島とか、半島の先の方などを回って、地域の人と一緒になって、どんな住まい方をしたらいいのかを勉強させていただきました。卒業してから、そういう仕事をしている事務所に入って、ずっと広島でやっていたのですが、平成2年の1月に、愛媛に帰って、活動を続けてきました。

 今日は、「支え合いのしくみづくり」ということで、どれくらいお役に立てるか不安ですが、自分が関わってきたことをご紹介して、みなさんの参考になればと思っています。

 私自身が、まちづくりに関わっていることもあって、いろんな話をする時、最初に「まちづくりとは何か」ということを共有させていただいています。いろんな思いを持つ人がいて、まちづくりというのは、道路をつくったり、橋をつくったり、学校をつくったり、公民館をつくったり、そういうハードをつくるのがまちづくりだというのが主流でした。ところが今は、「箱ものをつくるのはどうか」「ソフトが大事だ」という議論が出てきて、ではそのしくみをどうやってつくっていけばいいのかということになります。ところが、そのしくみというのは目に見えるものではないので、自分たちでどう認識して取り組んでいくのか、共通の土俵がつくれない。その土俵がないと、みんなで議論ができないので、その土俵を一所懸命につくるのが私たちの仕事です。その土俵ができると地域のみなさんが、自分たちのアイデアでどんどんやっていけるので、それをどうやってつくっていくのかということです。

 そういう意味では、みんなが集まって住むためのルールをつくっていく、つくり直していくと言った方がいいかもしれません。昔は、社会が今ほど豊かでなかった時には、みんなが協働しないと暮していけない時代が長かった。必然的に、みんなが力を合わせないといけなかった。違反するとペナルティがあって、「村八分」のように地域からはじき出されるような社会だった。そういう意味では、良くも悪くも、人と人とのつながりが今以上に緊密で、それが自分たちの生活の助けになってきた。そういう支え合いのしくみが、いろんな形で、良くも悪くも、自分たちの身の周りにあった。

 ところが、今はそういうしくみが変わってきた。社会が豊かになってきて、人と一緒に助け合わなくても、暮していけるようになった。昔は、お葬式も結婚式も、自分たちの集落でみんなで協力してやっていたのが、今は、いろんな人に負い目を感じずに、お金を出せば、葬祭場や結婚式場でできるようになってきた。そうすると、そんなめんどくさいことをして、周りに気を遣いながらやらなくてもいい時代になってきた。そうなると、だんだん、人と人との関係が薄くなってくる。

 社会が豊かで、それでよければ、そのままでよかったけれども、そうではないことがだんだんわかってきた。それが10年前の阪神淡路大震災に象徴されます。そういう人と人とのつながりがない地域と、人が緊密につながっている地域が、同じような災害を受けた場合に、自分たちの助かる割合が違ってくるということがいろんな調査からわかってきた。普段、人と関わらない楽な生活をしているのはいいことかもしれないけれども、いざという時にそれでいいのかと見直される事件が起きてきた。阪神淡路大震災以降、愛媛県でも昨年大きな水害があり、そういうことを経験して、自分たちの将来を考えた時に、「今のままでいいのか」という見直しがされてきた。

 そういう意味で、今回の松山市がやろうとしているサロン活動も、人と人とのつながりを普段からつくっていかないと、将来の自分たちの生活が不安になるのだろうということがある。そういうことをきちんと考えていく、あるいは実行していく、それぞれの地域で、自分たちのやれる範囲でやっていかないといけない時代になったと、いろんな人が気づいてきたということがあります。

 それから、行政との関係があります。財政難で、どこへ行ってもお金がないという話しか聞かない。今までは、どういう行政がいい行政だったのか。バブルの時も含めて、いろんなことをやってくれる行政がいい行政だった。自分の家の前のゴミも、電話すれば片付けてくれるような行政がいい行政だと言われてきた。行政もいろんなサービスをすることが評価をされることになるので、そういうことにお金を注ぎ込んでやってきた。そして、行政サービスがどんどん膨らんでいくという現状があった。

 ところが、バブルが崩壊して、税収が減っていくとお金がなくなって、そういう行政サービスのしくみが続くかどうかわからなくなってきた。あるいは、合併によって町が大きくなり、行政が遠くなってしまう。そうすると、自分たちの思いや困っていることが素直に伝えられる状況なのか、あるいは、伝えても行政が対応できるか状況なのか不安になってきた。今までと同じように行政とつきあっていく方法で、今までと同じようにやってきていいのかという反省も生まれてきているというのが現状です。

 それは、介護保険に象徴されるように、今までは黙っていても行政が手を差し伸べてくれていた制度が、自分たちが契約行為という形で関わらないと解決できないしくみが導入されました。これからいろんな分野でこういうことが行われてくるだろうと思います。そうした時に、座っていたら誰かがやってくれた時代から、自分が考えて、自分で決めていかないといけない時代に変わってきているということです。そういう時代に、今までと同じような考え方でやっていっていいのか。

 介護保険も3年経って、来年度に大幅見直しが想定されていて、今までの家事援助がサービスから外される可能性が出てきました。逆に言うと、過剰サービスで自立を阻害していたという理由で、介護保険から外されていく。だけど、本当に困っている人もいるわけで、そういう人たちに対して、地域でどのように支えていけるのか。自分の地域で暮らしていけるようにするためには、行政がそういうしくみではできないのなら、どうすればいいのかを考えなければいけない時代になってきた。それは他人事ではなく、自分の事になる、ということです。

 自分が将来、体が弱った時に、地域でいかに住み続けることができるかということが大事になってきます。ある中山間地で話をした時に、自分は将来どんな暮らし方がしたいのか、いろんな要望を聞いた時に、二つだけ共通点がありました。「自分の家で死にたい」「死ぬまで元気でいたい」、これが満足できれば私は幸せだという人が非常に多かった。じゃあ、自分の家で死ぬためには、どういうしくみがあったら死ねるのか、あるいは、自分の地域で元気でいるためには、どういうしくみがあればいいのか、どういう助けがあればいいのかをみんなで考える。どういう解決方法があるのかを、誰かが決めるのではなく、自分たちで知恵を出しあって決めていきましょうということだと思います。そういうことが、今求められているまちづくり、もっと言えば、地域福祉ということだと思います。これは誰かがやってくれるものではなくて、自分たちが考えてやっていかないといけないことだろうと思います。

 そういうことを考えた時に、自分たちだけでできることは限界があります。誰かの助けを得ないといけないという時に、誰の助けを得るのかということが大事になってきます。今日集われているみなさんが、そういう役割を果たすのだろうと思います。そういう意味で、今まで行政がやってきた公共・公益サービスの新しい担い手が出てきた。行政があてにならないとわかった途端、自分たちでやらないといけないという気持ちになるわけです。そういうことを考えた時に、自分たちの住んでいる地域がよくなるか、よくならないかというのは、行政の責任ではなくて、自分たちの責任になるのだろうと思います。そのあたりが、共通の土俵として、共通の概念としてわかってくると、すごく真剣に自分たちの将来のこと、地域のことを考えていただけるようになるのだろうと思います。

 そういうことを、それぞれの地域で話し合っていく。話し合うためには、場所や、投げかけてくれる人が必要になってくる。そういうことを、自分たちの地域で、自分たちの決められる範囲で決めていくしくみをつくっていかなければならない。そこが、私自身が考えるまちづくりであって、自分たちの住まい方のルールにあった新しいまちづくり、もっと言うと、地域での合意形成のしくみを考える、地域でいろいろなことを決めていく時に、決め方、決めるためのルールを考えないといけない。そのルールをつくっていくことが、まちづくり活動なのかなと思います。

 福祉の世界だけではなくて、自分たちのまちを考える時に、最初に考えるのは「どんなまちに住みたいのか」「どんな暮らしがしたいのか」だと思います。先程の話のように、「自分の家で死にたい」「死ぬまで元気で外へ出掛けていきたい」という時に、じゃあ、どういうことをやればできるのかを考えることだと思います。そういうふうに、一つの目標ができると、自分のやっていることが、その目標に対して合っているか、合っていないか判断できるようになります。

 今のまちづくりは、残念ながら、一人一人の主義主張なんですね。私はこんな暮らし方がしたい、だからこれが正解。自分は別の方向を向いて、こんな暮らし方がしたい、それも正解。それぞれの立場に立てば、全部正解です。ところが、地域として共通の目標、共通の物差しができると、その目標に向かって自分が合っているか、合っていないか、判断できるようになります。そういう意味では、地域で共通の目標をいかに持つのかが大事になってきます。

 共通の土俵ができた時に、自分たちは、将来どんな生活がしたいのかをみんなで話し合って決めていく。それに基づいて、いろんなことを組み立てていく。今は、その目標がないから、みんながそれぞれに言っていることを論破できない。「自分が、自分が」ではなく、自分の周りの人たちを含めて、どういうふうに自分たちのことを考えていくのか、相手の立場をいかに想像できるか、イマジネーションできるかが大事で、そういう想像ができる人を、私たちは「市民」という言い方をします。パブリック・シチズンという言い方をしますが、人のことを考えて、自分の主義主張もしっかりできて、話し合いの能力や資質を持つ人を「市民」と呼びます。松山市に住んでいるから「市民」ということではありません。そういうことができる「市民」がだんだん増えてきた。みなさんも含めて、いろんな人のことを考えられるようになってきた。

 そういうことができてくると、住民発意、自分たちの思いから目標をつくったまちづくりへ変わっていくでしょう。「誰かが言うだろう」ではなくて、自分たちが決める目標に基づいてやれる。それは、最初は1人の人からだと思います。自分はこういう生活をしたい、こういうまちづくりがしたい、それに対して、いろんな人が発言をすることによって、「私も一緒だ」と共感を持ってくれる人がいます。共感から広がりを持つと、「まちづくりグループ」ができます。そのグループがたくさんできると、ネットワークをしていって、大きな力に変わっていく。地域が変わっていくということにつながっていきます。誰かが言わないと、地域は動いていきません。どうやったらそういうことが言えるのか、言える場所があるのか、受け止めてくれる人がいるのかということが、地域にとっては大事なことになってきます。

 そういう場所が、いろんなところで展開をし始めています。私の関わった事例として、松山市の商店街に「おいでんか」というサービスの拠点があったり、津島町の「もやい」は、地域のニーズをきめ細かく拾い出して、住民に対するサービスを自分たちでやろうというグループです。今日、紹介するのは、松山市の西垣生で、今出(いまづ)とも言いますが、地域の人たち自らが「縁側」をつくろうと動き始めた事例があります。誰かに言われてやるのではなくて、自分たちが必要だと思って動き始めた。そういうことができるかできないかが、すごく大事なところだと思うので、「いまづの縁側」の話をします。

 みなさん、「あんき」という、中矢さんが始められた託老所はご存知かと思います。「あんき」というのは、気楽に過ごしたいという意味ですが、中矢さんの託老所は、自宅の「宅」ではなく、物事を託すの「託」になっています。「老を託す場所」という言い方を、中矢さんはされます。中矢さんの地域では、自宅はあるので、そこで過ごせるのだけど、普段預かるのは、老を託してもらいたい、という思いでつけられたそうです。地域の人たちが気軽なところで老を託す場所、そこにいろんな人が集ってくる、そんな思いで運営をされています。

 そういう地域でいろんな人が集ってきます。地域のことを一所懸命に考えようとする人たち、助けようとする人たちが集まってきたというのが始まりです。これは、最初からサポート隊があったのではなくて、中矢さんががんばっておられたところに、たまたま出会いがあって、支える人たちを集めようということになりました。託老所に関わる地域の方々や、「あんき」でも地域通貨を展開しようという相談もあって、私が関わっているタイムダラー・ネットワーク・ジャパンというNPO団体や、連合愛媛地域協議会という労働組合が、地域に根ざした社会貢献活動をしたいということで、人・物・金を含めて支援をしていただいています。

 そういう団体が集まって、「あんきサポート隊」をつくろうということになり、どういう支援ができるのか話し合いを始めました。いきなり支援と言っても、なかなか難しい。垣生地区は、コミュニティの強い地区と言われています。人と人との関係が密接なところで、その分、新しいことがやりにくいという弊害はありますが、実際にそのコミュニティに入ってみると、そんなに密な関係で、お互いが支えられているかどうかとなると、一部の人は非常に強く支えられているけれども、そうでない人たちもおられる。そういう人たちも含めて、新しいコミュニティを作っていく必要があるのではないかという話し合いになりましたが、大人というのは、いろんな関係があって難しいですね。地域の中でいろんなつきあいがあって、それを打破していくのは難しいことですが、小学生と高齢者の二世代交流からコミュニティづくりに入ろうと話し合いました。

 まず、高齢者の能力をいかに引っ張り出していくか、今まで地域でどんな生活をしてきたのかを含めて、子どもたちに勉強してもらおうということで、「むかし地図づくり」というのをやりました。大きな地図を用意して、透明なビニールをかけて、高齢者の方の昔の通学路はどこにあったか、懐かしい場所などの情報を書き込んでいくことを、3、4回やりました。高齢者の人たちに聞きながら、子どもたちが書いていくという交流をしていきました。「あんき」でそれをやったのですが、そこをベースにして、活動が終わった後も、子どもたちが遊びに来たり、関係ができてきます。そして、昔の生活が浮き彫りになって、今出の銀行があったとか、伊予絣の工場があったとか、渡し船の乗り場があったとか、四国三十三観音があったとか、そういう情報を整理しながら、実際に行ってみたりもして、地域の勉強をしてもらいました。

 そういうことをやっていくと、子どもたちもコミュニティができてきて、垣生小学校の子どもたち自らが集まって活動をしたいと言ってくれ始めました。じゃあ、グループをつくろうということで、「ミニミニチャレンジクラブ」、MMCと言いますが、高齢者の人たちと花見をしたり、三十三観音めぐりをしたり、夏休みの宿題会、クリスマス会、花壇づくりなどをやってきました。

 そういう活動をしていると、子どもたちから自主的に声が上がってきました。自分たちも拠点がほしい、自分たちが集まって話をしたり、活動をする場所がほしい。自宅や学校ではやりにくいこともあって、それは、昔あった地域の「縁側」ではないのかという話になり、じゃあ、地域の人たちが集まれる縁側づくりに発展していけばいいのでは、と私が言いました。

 そして、中矢さん自身も、「あんき」と地域がつながる機会をずっと模索していました。やはり、どうしても地域の中から浮いてしまっている存在になりかかっていることもあって、いかに地域と一緒になってやれるかということがあります。「あんき」とは別に「こんまいあんき」というグループホームがあるのですが、その一角にある倉庫を使って、縁側にしていこうということになりました。これも子どもたちの発案からのスタートなのですが、そういうものをつくり上げていきました。

 縁側に何を求めるのか、そこに関わっている人たちで話をした時に、そもそもの発端であった異世代が交流できる場所、地域の人たちの能力を発揮できる場所、ネットワークが広がる場所、地域の情報が集まる場所であればいいなど、話し合って決めました。

 地域の人たちの能力を発揮するというのは、地域の中にはいろんな能力を持っている人が多く、それを発揮できる場所があれば、元気で暮らせるようになるので、そういうことを仕掛けていければということをやりました。そのために、何人かのキーパーソンになる人に関わってもらえるようにお願いもしました。

 また、倉庫の中を縁側にするには、どうすれば使いやすくなるのかという話し合いをしました。地域の人たちが気軽に立ち寄れるような仕掛けがないだろうか。常に鍵を開けてオープンにしておくとか、いつでもお茶が飲めるように準備をしておくとか、来てもらうきっかけになるような教室をやったらどうか、とか話し合いました。

 畳式縁台というのも考えました。1個が1帖くらいの縁台を寄せ合わせると3帖くらいの広間になるので、いろんな組み合わせをしながら、集まってきた人たちが、そこに座って休めるような場所にしようということになりました。また、どんな活動をしているのかがわかるような掲示板も作りました。

 当初、「こんまいあんきの縁側」という名前にしようかと話していたのですが、やはり、地域の縁側にしたいということで「いまづの縁側」と名付けて、「あんきの施設ではないんですよ」というイメージを多くの人に持ってもらおうということになりました。

 そうは言っても、それができたからと言って、地域の人たちが休んでくれるかといったら、なかなかそうはいかなくて、大変苦労をしています。ここで発表できるような立派なことはできていないのですが、縁側に来てもらうきっかけづくりをしようということで、月1回第2土曜日に、「いまづの縁側の日」というのをやっています。その日の約束事として、その日だけは、必ず誰かスタッフがいるようにしようとか、血圧測定ができるようにしようとか、お茶を飲めるようにしようとか、細々とですが、展開しています。

 そういうことをやっているうちに、季節の移り変わりを感じられるようなプログラムをやりたいということになりました。季節感を大切にして、日本人の心や地域の伝統を味わえるようなプログラムとして、百人一首の会とか、俳句の会とかを、地域でそういうことができる人たちに指導を受けて、子どもたちが関われるプログラムもやっています。

 「縁側の日」はそういうことで、何人かの方たちに集まっていただけるのですが、普段は、なかなか進まないのが現実です。開けていても、誰も休んでくれない。どうすれば、そこに縁側があることがわかって、休んでくれるのかなあと考えました。今日、この後、発表されるみなさんは、そのあたりがとても上手で、利用度が高い。でも、今出の場合は、みなさんに、本当に必要と思ってもらえているかどうかというのがあって、先程話した「共通の土俵づくり」がまだまだできていないんですね。そういうことができていない中で、こういうことをやっているので、なかなか効果が上がらないということはあるのですが、何かせんといかんなあということで、看板をつくったり、パンフレットをつくったり、不用品の持ち寄りコーナーをつくったりして、非常に苦労してやっています。それでもやっぱり来ないですねえ。1日中、誰も来ないこともある。様子を聞いてみたら、「あそこにおじいちゃんが座って、タバコを吸ってた」となると、「じゃあ、灰皿を用意せんといかんかなあ」とか、そういう小さな積み重ねの中から、定着していこうとやっています。

 みなさんに報告できるようなことがないのですが、そういう小さなことを重ねていきながら、みんなで使ってもらえるようになればいいなあと考えています。これから、地域でこういうことが本当に必要なのかどうか、地域ニーズをしっかりと確認していく必要があると思います。座談会を企画してもなかなか来てもらえないので、こちらから出掛けていって話をしないといけないかなとも考えています。

 最近、いろんな人のご意見で、配食サービスのことがあります。冷めた弁当が多いらしくて、温かいものが食べたいという要望が地域の中から上がってきました。じゃあ、温かい今出の郷土料理を食べられるようなレストランをつくろうじゃないかという話になって、「こころのテーブル事業」と名付けて前回の第2土曜日にやったのですが、地域の人、食堂の人、私たちも含めて、ふるまうことはできないかと実験的に取り組みを始めました。

 地域の人たちが困っていることや、こうすればもっと生活が豊かになるというような要望について、みんなで取り組んでやれればと思って、やっています。それもやはりお金がかかるのので、今回、愛媛地域政策研究センターのアシスト事業に応募したら、当選をしてやれるようになりました。そんなことを一所懸命にやりながら、地域にみんなで支え合いができるきっかけの場所としてつくっていきたい。いろんなことを考えました。子どもを切り口にして考えたらどうかとか、高齢者の方たちの能力を発揮できるようなことができたらいいんじゃないかとか、いろいろ考えていますが、なかなかうまくいかない。みなさんは、普段、成功例をたくさん聞かれていると思うので、今日は、今出の人や中矢さんには申し訳ないけれど、困っている、苦労していることをお伝えして、地域でやるというのは、そんなに簡単にいかないのだろうと思っています。

 今日、この後、地域で活動されているみなさんのお話を聞いて、勉強させていただきたいと思います。なぜ、うまくいかないのかを考えている時に、やはり、共通の土俵づくりが、まだまだ充分にできていないんだなあと思っています。「誰かが助けてくれる」と思ってしまうと、体が動かない、足が一歩前に出ないというのがあると思うんですね。そこの気持ちを、「やっぱり、自分たちがやらなくてはいけない」と思えるようなところまで、みんなの気持ちが高まるかどうかというのが、大事だろうと思います。松山市社協もサロン事業ということで、みなさんの地域でサロンが増えてきているし、みなさんもそれぞれの団体で、そういう活動をなさっていると思いますが、地域のニーズに合った事業で、いろんな方々の支持を得られているのだろうと思います。

 私たちはNPO活動をする時に、志(こころざし)の縁、志縁(しえん)という言い方をします。地域で活動をされている方は、地域の縁、地縁(ちえん)という言い方をします。今日の小野地区のみなさんは地縁の関係だと思いますが、それ以外の方は、志を持った方が始めている志縁の活動をされているのかなあと思います。そういう同じ志を持った方が集まってくると、比較的展開しやすくなるのですが、なかなか地域に入っていくと、いろんな方がおられて、いろんな個人的な目標が上がって、共通点が持ちにくいということがあります。志縁の方もぜひ、地域の中で一緒になって、協働をして、お互いのやり方、ノウハウを交換してやれるようになればいいのかなあと思っています。

 そろそろ時間ですが、実は、こういう地域の活動で、ある意味でうまくいっている例があります。津島町の「もやい」の話をしましたが、あそこのケースは、一番初めに何をやったかが、大事になります。先程、そういう地域コミュニティが必要だという話をしてきたのですが、自分たちが本当に困っていることは何なのかという生活課題を一所懸命に集めたということがあります。自分たちが本当に困っていることで、個人で解決できることは何か、自分たちみんなで協力して解決できることは何か、行政等に頼まないと解決できないことは何かということを自らが決めていったということがあります。そういう課題を決めていって、自分たちで解決できることをとりあえずがんばろう、がんばるためにはどういうものがあればいいか、どういうサービスをすればいいかというところからスタートしました。地域にとって必要かどうかという判断をいろんな人がされますが、みんなで共有するための共同作業をできるかどうかは、とても大きいと思います。津島町の場合はそれができたということがあります。

 先程の「あんき」はそこまでいけていないのかもしれません。その差は随分大きいのだろうと思います。地域の中で展開していくには、そのあたりの共同作業をいかにできるか、ワークショップという言い方をしますが、そういうことを積み重ねていくことが大事だろうと思います。みなさんも地域に入られる時は、ぜひそういうことをできるような、一緒にがんばれるようなことをやっていただけたらいいのかなあと思います。

 私の思いが伝わったかどうかわかりませんが、いろんな事例をふまえながら、みなさんの活動をどんどん広げていっていただきたいし、質を高めていただきたいし、そのために少しでも参考になればと思っています。長い時間、聞いていただいて、ありがとうございました。

   
 
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